おしゃれな若い人のかっこうを見ると、
「ちょっとマネできないな」とか、
「じぶんには似合わないだろうな」と思ってしまいます。
その人のことをおしゃれだなあとは思えるのですが、
じぶんが同じようにやってもヘンになりそうだと思ってしまうのです。
それで、やっぱり今まで通りの服装スタイルを続けていく、と。
「自分はこれがシックリくる」というスタイルがだんだん固定化されていく。
その姿を若い人が見た時、「オジサンだなあ」と思うのでしょうね。
今ぼくがじぶんでは別にヘンだとは思っていないような服装が、
若者にとってはオジサンくさいものに見えているのかもしれません。
実際、じぶんが「若い人」だった時に、
上の世代の人の服装などを「オジサンだなあ」と思っていたのと、
おんなじなのでしょう。
そして当時の「オジサン」たちもまた、
じぶんたちがシックリくる服装を
あえて変えていなかったというだけだったのでしょうね。
じぶんがオジサンになってはじめて、
当時のオジサンの気持ちがよくわかるような気がしています。
別にムリをして若い人のマネをしようとは思っていませんが、
そんなじぶんの「シックリくる」にあぐらをかいていてはいけないような気も、
最近はしているのです。
服装はまあいいとしても、
聴く音楽とか、仕入れようとするニュースなんかも、
「シックリくるものだけでいいや」とばかり思っていると、
いつの間にか幅が限定されすぎてしまっているように思えるのです。
なんだかんだ理由をつけて、
「テレビはできるだけ見ない」とか、
「このジャンルの本を読んでればいいか」などと、
知らず知らずのうちにじぶん自身で行動範囲を決めてしまっていたような。
好奇心が薄らいでいるじぶんに気が付きました。
そういう状態が続いて「井の中の蛙」になってしまうのだろうかとも思ったのです。
じぶんがシックリくるもの以外の中にも、
きっと心ふるえるようないいものがあると思うので、
もう少し柔軟になりたいななどと思っています。
みなさんの今日が平穏無事でありますように。
石鎚神宮社務所より
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